「あなたとチームを組め? 冗談じゃないわ!!」
アメリカの都市部にあるボクシングジム、ダミジムに少女の大声が響き渡った。彼女の名前はジョイ・シン。ダミジムの会長であるダミ・ユンの娘であり、ダミ・ユン同様に彼女もまたチャンピオンを目指すプロボクサーであった。ジムの会長であり母親でもあるダミから日本で開催される女子ボクシングの団体戦トーナメントであるドリームトーナメントにメンバーに選ばれたと告げられたというのにジョイは感情を乱している。
幼い頃のジョイはプロの女子ボクサーであり栄光のチャンピオンベルトを巻いたダミに憧れていた。彼女のようなチャンピオンになりたかったと夢見ていた。しかし、韓国のボクシングが混乱に陥った原因にダミが関係していることを知ってからジョイのダミを見る目は変わった。チャンピオンの資格を持たないチャンピオンにジョイの目にはダミが映るようになった。昔のような関係ではなくなっていた。それでもダミは彼女の反発を受け入れジョイを指導している。
「Blow of Fateからは最強のメンバーで参加して欲しいと連絡が来てるわ。ランキング13位のあなたと16位のナン・ヨン・ソンを選ばないわけにいかないわ」
「そんなの知らないわ。私は出ないからっ!!」
ジョイは首を振り、背を向けた。ダミの元を離れようとするとダミが彼女を止めた。
「待ちなさい、ジョイ。会長の命令を拒否するの?」
ジョイは顔だけ振り返る。
「ええっこれだけは受けられないわ」
「そう…。それなら今後、私はあなたの指導をしないわ」
ダミの突き付けた言葉にジョイが言葉を失う。じっと突っ立っているジョイに代わって、近くでシャドーボクシングをしていたナン・ヨン・ソンが二人の間に割って入る。彼女もプロのボクサーでありジョイとは親友であった。
「待ってください、ダミさん。ジョイは試合が近いんですよ。あなたの指導がなければ負けるかもしれないですよ」
「負けるかもしれないってナン・ヨン・ソンは言ってるわよ。どうするジョイ?」
「別にあなたの指導が無くても私は試合に勝てるわっ」
ジョイが勝ち気な顔で言った。ダミはナン・ヨン・ソンを見て、
「試合に勝てるって言ってるわ。当日はナン・ヨン・ソンあなたがセコンドに付きなさい」
と言った。ダミの指示にナン・ヨン・ソンは動揺した表情になり、
「無理ですっ、わたしがセコンドなんて無茶です!!」
と言った。
「あなたはどうなの?」
ダミがナン・ヨン・ソンに向けて言った。
「どうって……?」
「ドリームトーナメントに出る気はあるの?」
「わたしは……」
ナン・ヨン・ソンは自分の思いを出せなかった。ジョイと同様にダミとチームを組んで出場したいとは思わなかった。ナン・ヨン・ソンもダミの過去を知ってから彼女を尊敬する思いを失った。しかし、会長の命令に反する決断をするほど大胆な行動も取れずにいた。ダミからの指導を受けられなくなるペナルティがあろうとなかろうと、どちらかの選択を取る気にはなれなかった。
「いいわっ。二人ともじっくり考えなさい」
結局、ジョイだけでなくナン・ヨン・ソンもダミからの指導を受けられない日々を送ることになった。ジョイとナン・ヨン・ソンがお互いに練習を助け合う。
そして、ジョイは試合の日を迎えた。アメリカのプロボクシングリーグであるSGR。13位のジョイはランキング19位のユキナとの試合が組まれていた。自分より格下の試合なのだから、順当にいけば快勝出来る相手である。
しかし、この試合ジョイは序盤から苦戦をした。アウトボクサーであるユキナが接近してインファイトをしてくる。アウトボクサーであるジョイとアウトボクシングで闘うことを捨てたのである。アウトボクサーと闘うことを想定してトレーニングを積んでいたジョイは動揺し自分のボクシングを見失っていた。ユキナはジョイの左ジャブを交わすと近距離から左腕で何度もジョイの顎をぐいぐいと押し上げる。そして、ジョイの体勢が乱れたところにフックを打ち込んでいく。アウトボクサーのユキナがインファイトをするどころかラフな闘い方までものにしている。リズムをすっかり狂わされたジョイはユキナの大振りのパンチを不用意に何度も浴びてしまう。ディフェンスが得意なジョイらしからぬ試合だった。
ジョイは試合の前半の第1Rから第4Rまですべてのラウンドで劣勢に立たされポイントを失った。自慢の左ジャブもほとんど相手には当たらず、相手の大振りのパンチを何度も受けたジョイだけが顔面をだいぶ腫らしていた。試合を立て直すにはセコンドの指示が不可欠だった。しかし、セコンドに付くナン・ヨン・ソンは「大丈夫、まだ挽回出来るわ」とジョイの心を鼓舞させることしか言えなかった。
試合は第7Rにジョイの右のカウンターパンチがヒットし、ユキナから逆転のダウンを奪った。立ち上がって来たユキナにラッシュをかけて再度ダウンを奪い、ジョイが逆転のKO勝利を手にして試合は幕を閉じた。
翌日、ナン・ヨン・ソンはダミジムに着くと、ダミに頭を下げた。
「非礼なことを言って申し訳ありませんでした。どうかジョイを指導してください」
ナン・ヨン・ソンが言うと、
「もういいわ」
とダミが言った。
「今日からあなたたちをまた指導するから準備をなさい」
ナン・ヨン・ソンが顔を上げて、「ありがとうございます」と礼を言った。
「ドリームトーナメントのことなんですけど……」
「あれはもういいわ…」
「えっ……」
「もういいの。参加のことは忘れてちょうだい」
とダミは言った。面食らったナン・ヨン・ソンは目を丸くして何も言葉が出てこなかった。ナン・ヨン・ソンが何かを言うより先にダミはその場を離れていった。その時、ナン・ヨン・ソンはダミがジムの他の選手と組んで大会に出るものだと思っていた。
数日後、試合のダメージが回復し、顔の痣も消えたジョイがジムに入ると、更衣室でナン・ヨン・ソンに話しかけられた。
「ねぇ、これ見てよ」
ナン・ヨン・ソンはスマートフォンの画面をジョイに見せる。画面にはドリームトーナメントの公式サイトが映っていた。
「ここなんだけど」
そう言って、ナン・ヨン・ソンがページを下に少しずつ移動させる。
「ねっないでしょ」
参加チーム一覧のページにはダミジムの名前はどこにも見当たらなかった。それはジョイにも驚きのことで彼女は画面から離し力のない目で宙を呆然と見続けた。
「母さん…」
ジョイがぽつりと呟いた。ジョイが更衣室を出て、ダミの元へ駆け付けた。
「なんでっドリームトーナメントに出ないのよっ!!」
ジョイはダミの前で叫んだ。
「あなたが試合に負けそうになった。私も責任を取らないといけないわ」
「責任って…私の我儘で負けそうになっただけなんだから、出たければ出ればいいじゃないっ」
「別にもう出たいとも思わないわ」
ジョイは続けて何か言いたかったが、ダミの淡い表情を見て、言葉が出てこなかった。
「ほらっ今日からまた指導するから早く準備をなさい」
それっきりドリームトーナメントの話は二人の間で終わった。
ダミがまたジョイとナン・ヨン・ソンを指導する日常が続いた。しかし、ジョイは練習をしても心の中のもやもやが取れなかった。
私がドリームトーナメントに出ないなんて言わなければよかったのよ……。
ジョイは自身の決断を後悔するが、もうドリームトーナメントの参加チームは全て発表されてしまった。時計の針を戻せたらとジョイは思う。
その時、ジョイはジムの別室で電話に出ているダミを見た。晴れない表情をしているダミを見て、ジョイは別室へ駆け付けた。
「ですから、ドリームトーナメントは不参加と申し上げたじゃないですか」
電話の受話器を持つダミを見つけて、 「参加するわ!!私参加する!!断らないでよ!!」
ジョイは大声で言った。ジョイの姿を見て、驚く顔をしたダミはすぐに穏やかな顔に戻し、
「今のですかっ?どうもうちの選手たちは闘う気でいっぱいのようでして、こちらから参加をお願いしてもよろしいですか?」
ダミの言葉に、ジョイは「母さんっ」と喜びの声を上げた。
電話を切ったダミはジョイに向かって言った。
「これから大会までもっと練習が厳しくなるわよ」
穏やかな笑みを浮かべたダミの言葉に、
「望むところよ」
ジョイは力強くそう応えるのだった。
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