羽澄格闘俱楽部の最寄り駅から二駅。急行も止まる大きな駅に隣接するショッピングモール内に二人の若き格闘少女憩いの場があった。

 

 カフェの名前はJAM。壁もテーブルも椅子も床までも木製で木の芽が見える荒い造りで、西部劇の酒場のような陽気な雰囲気が店内には漂う。カウンターの左上にはテレビが設置されていて、流れる映像はもっぱらスポーツだ。  

 

 今も画面には女子ボクサーの姿が次々と映し出されている。

 

「あ~あ……出てみたいなぁ」  

 

 ミシェルは画面を見つめてオレンジジュースのグラスの中のストローを右手で回しながらぽつりと呟いた。真正面の席に座るへレーナからは何の反応もない。彼女の方に目を向けると、へレーナは目を瞑りながらイチゴジュースを飲んでいて、飲み終えて目が合っても特に何も反応がない。その様子がミシェルには不満だったようで、眉間に皺を寄せて、

「ヘレンは出たくないの?」  

 と聞いた。ストローから手を離したへレーナが改めてミシェルの目を見た。

 

「私だって出たいに決まってるよ。でも、ブレードGPと開催の時期がかぶってるんだから、どっちかにしなきゃいけないよ」  

 

 ブレードとは出場選手が学生に限定され、夏の間だけ開催される総合格闘技イベントである。総合格闘技の人気が20年前に比べてだいぶ下火になった中、五年前に始まったこのイベントは、ファンのターゲットも若い層に定め夏に集中して大会を開催することで、中規模の会場を確実に満杯にする安定した人気を維持している。特に選手の年齢を若い選手に絞ったことで女子部門に注目が集められ、若手の女子選手の間では今や一番出たいイベントとなっている。羽澄格闘倶楽部も参加資格のある学生たちは積極的に参加していて、夏の数大会でトーナメントを開催し各階級の最強選手を決めるGPでは、去年飯島麻結と高遠柚月がベスト4まで勝ち上がった。今年は麻結や柚月はもちろん年齢で参加資格を得たミシェルとへレーナもGPにエントリーする方向でジムではトレーニングのメニューをこなしている。

 

 その総合格闘技イベントであるブレードと選択の天秤に乗っているのは女子ボクシングの団体戦トーナメントとして行われるドリームトーナメントだった。新たな女子ボクシング興行であるBlow of Fate主催の大会で、3VS3の団体戦で出場選手に人気選手が多く集まり世間からも大きな関心となっている。この店のテレビに映っている映像もドリームトーナメントの紹介動画だった。  

 

 しかし、へレーナの参加意思は様々な配慮からブレードの方が勝ってるようで、

「私達、総合格闘技のジムで習ってるんだから、やっぱりブレードに出た方が絶対良いよ……」  

 と言った。へレーナの保守的な選択にミシェルのストローを握っている右手の指の力が強められ、

「そんなことないっ」  

 とミシェルは首を大きく横に振った。

 

「だってあの参加メンバー見たら出たくもなるよ。あの高梨美月さんや山神裕子さんが出るんだもん」  

 

 へレーナが目を瞑り下を向く。

 

「それだけじゃないよ。名護遥ちゃんも出るんだよ。私達、同世代だから一度は試合で闘ってみたいじゃん。この大会ってボクサーのライセンス持ってなくても出られるし、遥ちゃんとやれるすっごいチャンスなんだよ」  

 

 目を瞑るへレーナの眉間にぐっと力が入り皺が寄った。

 

「それに遥ちゃんのチームメートはあのっ」  

 

 ミシェルがさらに参加したい理由を話そうとしていると、へレーナの眉間の皺はさらに深まり、

「そりゃ出たい、わたしだって出たいよ……!」

 ついには奥底に抑え付けていた思いを抑えきれなくなり大声で思いを吐露した。  

 

 ミシェルが目を輝かせ、

「そうだよね!? 出ようよ、ヘレン!あたしとチーム組んでBlow of Fateのリングに出ようよ!!」  

 と言って気持ちが高揚するあまり左右の手を胸元まで上げて握り拳を作った。それから、へレーナに右手を差し出した。へレーナはその手を握ろうと自身の右手も前に出すが、握る直前でその手はへなへなとテーブルに落ちた。さらに左手もテーブルに付いて、

「でも、やっぱりムリだよぉ……」  

 と首を横に振りながら言った。

 

「だって、三人目のメンバーいないんだもん」  

 へレーナの嘆きにミシェルも同じ思いを持っていたのか、急に目を瞑って唸るように考え込む。

 

「麻結先輩か柚月先輩、出てくれないかなぁ……」  

 

 ミシェルが呟くように言った。

 

「無理だよ、だってさ……」  

 

 へレーナはテーブルに両手を突っ伏したまま続けた。

 

「二人ともブレードの優勝に燃えてるんだもん」  

 

 カフェに二人の少女の溜め息がハミングのように響いて漏れた。

 

 

「ねぇ、ミカとへレンさ。最近元気なくない?」  

 

 そう話しかけたのは麻結だった。ジムの片隅で開脚して真直ぐに伸びた右足に綺麗に両手を付けていながらも彼女は涼し気な表情をしている。

 

「麻結ちゃんも気付いてた?私も少し気にしてたんだ……」  

 

 そう答えた柚月も麻結と同じように開脚し綺麗なフォームを形成していたが、彼女の顔にも余裕が伺える。ショートカットの髪型で快活な雰囲気の麻結と長い髪を後ろで結び穏やかな表情の柚月は対照的な二人だったが、親友の間柄でありよきライバルでもある。女性限定の格闘技のサークルである羽澄格闘倶楽部でトップクラスの実力者である二人は率先して総合格闘技の大会に出るだけでなく、後輩のミシェルとへレーナの面倒もよく見ていた。一ヶ月半後に開催されるブレードGPで自身達はもちろん、今年初めての挑戦となるミシェルとへレーナの活躍も期待して彼女たちのスパーリングパートナーの相手を積極的に買って出ていたのだが、肝心のミシェルとへレーナからどうにも覇気が感じられない。

 

「やっぱりブレードが関係してるのかなぁ」  

 

 開脚を終えて立ち上がった麻結が今度は右手を胸に付けながら左手で抑えるストレッチをしながら言った。

 

「ブレードぐらいの大きな大会は初めてだから、ミカちゃんもヘレンちゃんも不安なのかもしれないよ」  

 

 柚月も麻結の隣で同じストレッチをしながら答える。

 

「あの子達ってさ、私達に比べれば結構珍しい人生送ってると思うんだけど……そんな事気にする性格だったかなぁ」

 

「そういえば、ミカちゃんはアメリカ出身のお爺さんから格闘技のこと色々教わってて、ヘレンちゃんもイギリスでは護身術でキックボクシング習ってたんだよね……。でも、だからって肝が据わってるものだと思うのは良くないよ。普段から話していると二人とも同年代の日本人の娘たちよりむしろ子供っぽく感じるくらいだし」

 

「まぁ、たしかに二人ともまだ子供っぽいところあるけど……でもさ、なんかやっぱりハートの方は強いと思うよ」

 

「ねぇ、麻結ちゃん。そもそもミカちゃんとヘレンちゃんはブレードに出たいのかな?」  

 

 柚月の問いに麻結が何言っているんだというような顔をする。

 

「出たいか、ってそりゃ出たいに決まってるでしょ?ジョシカクの華の大舞台なんだから」

 

「麻結ちゃんがそう思っても、他の娘も同じように感じてるとは限らないの」

 

「そりゃいろんな考えがある筈だけども、二人ともファイターでしょ。そこは変わらないと思う」

 

「私はそうとは言いきれないと思うけど……。そもそもミカちゃんとヘレンちゃんにブレードに参加したいか気持ち確かめたかな……」  

 麻結が腰に両手をつけて考え込む。

 

「どうだったかなぁ……。もう参加して当然って感じだったから」

 

「ひょっとしたら、まだ時期尚早って思ってるのかもしれないわね」

 

「いやいや、あの二人の実力なら勝ち上がっていける」

 

「でも、あの子達もそう思ってるとは限らないものだよ」

 

「よしっ、じゃあ、先輩の私が直接、可愛い後輩達の実力に太鼓判を押してやれば良いわけね」

 

「その前に……大会に参加したいか、二人の気持ちを確認するのが先!」

 

「そうかっ…うん、わかった」  

 

 麻結と柚月の考えが一致してストレッチを終えた頃、ミシェルとへレーナがジムに入って来た。二人の姿を見つけた麻結が柚月の身体を肘で突いて、

「柚月、来た」  

 と言った。

 

「麻結ちゃんが説得するって言ったじゃないっ」  

 

 柚月が困惑した表情で言った。

 

「いやっ説得はするって言ったけど、参加したいのかと聞くとは言ってないし……」

 

「同じようなものでしょっ」

 

「いや、流石に参加したいのかって面と向かって聞くのはちょっと聞きづらいというか……」

 

「もう、麻結ちゃんってそういうところあるよね……それじゃあ、私が行った方が良い?」

 

「んっ……、分かった、私が聞くよっ」  

 

 こちらに近づいて来たミシェルとへレーナにやや遠くから麻結が手を上げて「よっミカ。へレン。」と言った。二人が挨拶すると、麻結が距離を近づけて、

「あんた達、ブレードに出たいのか?」

 と尋ねた。ミシェルとへレーナがきょとんとした表情で麻結を見る。

 

「いやいや、ミカもヘレンも……二人ともひょっとしたらブレードに出たくないんじゃないかって思ってさ」  

 

 聞きづらい問いかけに麻結は右手を後頭部に当て、苦笑いを浮かべながら言った。

 

「えっ……先輩、何で分かるんですか!?」  

 

 ミシェルがびっくりした表情で言った。

 

「え?」  

 

 麻結はまさかミシェルが頷くとは思っておらず、表情が固まった。

 

「ホントだったの!?」  

 麻結はそう言い、しおらしい顔をして、

「あ〜、ごめんね。出たくないのに大会出場強制しちゃって」  

 と言った。

「でも、気後れする必要なんか無いって……あんた達の実力だったら十分勝ち上がっていける。私と柚月が保証するよ。前年ベスト4の私達が言ってるんだから、そこは自信持っていいよ……!去年だって私も柚月だってそりゃ大会前になったら緊張はしたけれど大会が始まっちゃえばさ身体ってのはっ」  

 マシンガンのように話す麻結にミシェルとへレーナが見合った。

 

「麻結先輩!そ、そうじゃないんです」  

 

 ミシェルが言った。

 

「私達、ドリームトーナメントに出たくて……」

 

「えっ……ドリーム……?」

 

「だから、ブレードに気持ちがいかなくて」  

 

 ミシェルは申し訳なさそうに言った。

 

「ドリームトーナメントって、あの女子ボクシングの団体戦のやつか?」

 

「はいっ」  

 

 麻結がハハハっと大声で笑った。

 

「見なよ、柚月!やっぱり気後れする玉じゃないでしょ、この子達は!ブレードじゃなくてドリームトーナメントに出たいなんてあたしらよりもよっぽど肝っ玉が据わってるじゃないか」

 

「ミカちゃん、ヘレンちゃん。ボクシングと総合格闘技の試合は大分違うよ。その辺はどうなの?」

 

 歩み寄りながら聞いてきた柚月に、ヘレンが答えた。

 

「柚月先輩、打撃戦なら私達にだって自信があります」

 

「でも普段からケージリングで鳴らしてるストライカーのあなた達でも順応出来ないまま負ける可能性は十分あるんだよ」

 

「分が悪いのは分かってます。でも、同世代の遥ちゃんたちと闘えるチャンスだからっ」  

 そう答えるミシェルの姿に柚月がふふっと笑った。

 

「止めても無理そうだね。ねえ、麻結ちゃん」

 

「ああ、私も賛成するよ。あんた達はドリームトーナメントで羽澄格闘俱楽部の魂ってのを見せて来な……!」

 

「ありがとうございます!」  

 

 ミシェルとへレーナが声を揃えて返事した。

 

「ところでドリームトーナメントって三人チームの団体戦って聞いてるんだけど、メンバーは決まってるのかな?」  

 

 柚月が聞いた。

 

「それが、まだ私とヘレンと、あと一人誰かなんですけど……」

 

「……だったら、三人目のメンバーは私が出たいな」  

 

 驚いて目を丸くするミシェルとへレーナだったがそれ以上にびっくりしていたのが麻結で、

「柚月!今度のブレードGPこそ、どっちが上か決めようって言ってたじゃん!」  

 と大声で言った。柚月は麻結を見て、

「だって、可愛い後輩達が二人で大きな決断をしたんだよ。アウェイのボクシングのリングに上がりたいだなんて、なかなか言えない事じゃない。だったらサポートしてあげるのが先輩の務めだって、そう私は思うけど」  

 と言った。柚月の言葉に麻結はたしかに頷くものを感じたが、柚月とブレードで闘いたい思いもあるのだから、素直に賛同も出来なかった。そんな麻結をよそにミシェルとへレーナが感謝の言葉を出して、柚月も「いいの、いいの全然」と笑顔で応える。 そんな一致団結して和気藹々とする雰囲気に麻結も三人でチームを組んで大会に参加するドリームトーナメントに惹かれ始め、

「待て待てっ、三人目のメンバーにあたしも立候補!」  

 と言い出した。

 

「麻結ちゃん、さっきまでブレードで優勝するんだって、あれほど言ってたじゃん」  

 

 若干引き気味に困惑する柚月に、

「ブレードは来年出る!ドリームトーナメントなんて面白そうなもん、出ないわけにはいかないでしょ!」  

 と麻結は言うのだから、柚月は右手を額に付けて若干呆れるのだった。

 

「じゃあ、私と麻結ちゃんでボクシングの試合をして、勝った方が三人目の出場メンバーと、後輩二人の面倒を見てあげるってことで……」  

 

 柚月の提案に麻結が軽く指の骨を鳴らして言った。

 

「面白いじゃない。ボクシングで柚月との本気試合ってのも楽しそうだしね!」  

 

 こうして、ミシェルとへレーナのドリームトーナメントへの参加は決まったが、大会よりも先にドリームトーナメントの試合に匹敵する位のボクシングの名勝負が人知れず羽澄格闘俱楽部内で繰り広げられたのだった。