はあぁっと自分でもびっくりするくらい大きな溜め息が美鈴の口から漏れた。上下が黒色のジャージを着た美鈴は公園のベンチに前屈みに座りながら手にしている手紙を見つめていた。その手紙はBlow of Fateから送られてきたもので団体戦トーナメント開催の告知と参加招聘の旨が書かれていた。
ドリームトーナメントが開催されることはメディアからの情報で知っていたがまさか自分に参加の打診が来るとは美鈴は微塵も思ってもいなかった。Blow of Fateには個人戦のトーナメントであるヴィーナストーナメントに参加してわずか2RでKO負けされ、その後の興行にも継続して参戦したものの二戦二敗とこれまで一勝も出来ていない。三戦三敗はこれまでにBlow of Fateに参戦した選手の中で最も悪い戦績だ。
二年前には期待の新鋭と注目を集める女子ボクサー達12人による月娘トーナメントの参加選手に選出され一回戦を劇的なKOで勝ち上がり、将来が有望視されたものだが、今や前途は暗澹とした道となっている。ロードワークに出る前に会長から封筒を渡され、参加するかの結論はロードワークから帰ってからじっくり考えようとしたものの、走っていてももやもやした思いで胸がいっぱいになって、結局途中の公園で休憩を取って、考えている。
攻撃こそが最大の防御という座右の銘を掲げて闘ってきたものの、その信念が大きく揺らいでいる。そんなバランスの崩れたボクシングのスタイルのままで良いのか。ディフェンスにももっと力を入れるべき時がやってきたんじゃないか。自身のボクシングスタイルを見つめ直している今この時に団体戦トーナメントに参加するのはどうかしている。一方で負けっぱなしのままで逃げるなんてありえないという思いもある。
考えても考えても迷いが増すばかりで美鈴はあぁぁっと声を荒げて頭を思いきり掻いた。
「何をしてるんのですの、美鈴さん」
若い少女の声が聞こえ、美鈴は見上げた。日下部浅葱が立っていた。
「お前は日下部浅葱っ」
思いもしない人間と出会い、美鈴は思わず人差し指で彼女の顔を指す。浅葱とは月娘トーナメントの二回戦で一度試合をしている。その時は試合前に体調を崩してリングに上がったこともあり十分な力を出せずに4RKO負けで完敗した。あの試合の記憶が今も心に深く刻まれている美鈴はぷいっと横顔を向いた。
「なによっあたしは今忙しいのっ」
素っ気ない態度をとる美鈴だが、浅葱は気にする素振りを全く見せずに、
「早速、ドリームトーナメントに向けて練習ですの? 流石は美鈴さん」
明るい表情で言う。そんな浅葱の振舞いに美鈴は拍子抜けした顔になり、またしても彼女の顔を人差し指で指した。
「あんたっ、試合の時とキャラ違わない?」
「よく言われるんですのっ浅葱は鬼の子でリングの上で鬼の顔が出るって」
浅葱ははしたない真似をした照れを隠すように口元に手を当てる。
「鬼の子ねぇっ」
鬼の子といばカッコ良いけど単に性格の悪さが出ただけじゃなんじゃないのと美鈴は思ったが、浅葱には早くこの場を立ち去ってもらいたかったから黙っていた。
「それより美鈴さん、ドリームトーナメントのメンバーはもう決まったんですの?」
「決まったもなにも参加するか分からないんだからっ」
そう言ってから余計なことを言ったかなと美鈴は焦った。参加しようか悩んでるなんてこの女に思われたくない。
「あらっそうなんですのっ」
浅葱は意外そうな目をする。
「じゃあ招待状をわたしに譲ってくれません?」
浅葱が右手を出したものだから、美鈴はずっこけそうになる。
「何でそうなるのよっ」
「だっていらないのでしょ。でしたらわたしが手にした方が有意義というものですの」
「いらないとは言ってない。参加を検討してるって言っただけだ」
「そんな弱腰じゃまた負けてしまいますのっ」
浅葱の平然とした調子の言葉に美鈴はムカッときて、
「だったらここであたしと試合するかっ」
と大声で言った。
「試合ですか? 美鈴さんとはチームメートになるんですからそれは無意味ですの」
浅葱の返事に、美鈴は彼女がここに来た理由にぴんときて、
「なるほどねぇ」
と意地悪な顔をみせる。
「チームのメンバーに入れて欲しいの?」
もったいぶった言い方で美鈴が聞いた。
「ええっ」
浅葱は目を輝かせるように返事した。
「あんたみたいなリングで暴言吐くような女はゴメンだね」
美鈴は軽くあしらうように目を瞑って顔を背けて言ったが、すぐにぞっとするような殺気を感じて浅葱を見ると、殺意の波動に目覚めたような鬼のような目をしている彼女がいた。
「今ここで試合してもいいですのっ」
殺気に満ちた浅葱の声に、
「分かったよっあんたがチームメートでいいから」
美鈴はたまらず前言を撤回した。 「ありがとうですのっ美鈴さん」
殺意の波動が消え、天使のような笑顔になる浅葱だった。
「で、残りの一人はどうするの? あてはあるの?」
「ないですのっ」
「あたしもないんだよなぁ。ジムの人たちは女子でプロはあたししかいないし」
「月娘トーナメントの選手たちはどうですのっ。彼女たちとはシンパシーを感じますの」
「シンパシーねぇ。分からないでもないかな。でも、連絡先知ってるの?」
「SNSを使うですの」
浅葱がスマートフォンの液晶画面を美鈴の顔の前に見せる。その画面にはTwitterのページが開かれていた。
「なるほどねっ」
Twitterに登録している浅葱はスマートフォンの操作を続けた。
「日見崎朝子さんを見つけたですの。朝子さんとは激闘を繰り広げた仲ですからきっと喜んで参加してくれるですの」
朝子にDMを送ると数分後に返信がきた。嬉々とした顔で返信を見る浅葱だったが、”リングで暴言吐く人とはチームを組めません。ごめんなさい“
「こちらから願い下げですのっ!!」
と激高した。
「どうかしたの…?」
あんぐりとした顔で尋ねる美鈴に浅葱は、
「山籠もり中だからと辞退されたんですのっ」
と動揺した声で言い、
「山籠もりねぇ」
全然信じない目で浅葱を見つめる美鈴だった。
「美鈴さんもDM送ってくださいですの」
「あたしはTwitterしてないから」
「今登録すればいいですのっ」
「あっちょっと待ってよっ」
美鈴と浅葱でTwitterに登録している月娘戦士たちを見つけてはDMで勧誘するという作戦を続ける。そうした行動が2時間行われたが、結局Twitterに登録していた五人誰からも承諾の返事をもらうことは出来なかった。
「まいったなぁ」
「こうなったら直接ジムに行くしかないですのっ」
「う~ん…それしかないかな。それで誰にする?」
「とっておきの人に決まってるですの。今から探しますですの」
浅葱が再びスマートフォンの操作を始めた。
「そういえば、浅葱はなんでドリームトーナメントに出たいの」
美鈴は何げない思いで聞いた。
「決まってますの。あの参加選手たちの名前を見て参加しないわけにはいかないですのっ」
浅葱は目を輝かせる。
「高梨美月選手に、松谷祐子選手、音羽美香選手、名前を上げるだけで興奮してきますですのっ」
たしかにと美鈴は思った。そんなすごいボクサー達が集結するんだから参加しない手はない。そう思ってからいつの間にか参加することに迷いがなくなっている自分に美鈴は気付いて苦笑いを浮かべた。
「美鈴さん、この方はどうでしょう?」
浅葱がスマートフォンの画面を美鈴の顔の前に持ってきた。画面に映っている女性を見て、美鈴はスマートフォンを取り上げて食い入るように画面を見た。
リングの上で両腕を高々と上げてガッツポーズを作っている山神裕子の写真があった。ニュースの記事には“山神裕子、日本王座三度目の防衛に成功”と書かれている。同世代の中で最も飛躍した彼女の雄姿に美鈴は口元をにんまりと緩ませた。あたしも頑張らなきゃ……。山神裕子はトーナメント一回戦敗退から這い上がったんだから。
「よしっ行こうか」
美鈴が椅子から立ち上がった。公園の出口へ向かう。
「待ってですのっ」
浅葱が後ろから駆け足で追いかけようとする。美鈴の気持ちは前へ前へと向けられている。
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