風を切る音がチャールズ川の河川敷に響き渡る。マシンガンのように放たれていく重く切り裂くパンチのコンビネーション。シャドーボクシングで汗を流すその主は赤髪の女性、スーザン・スペンサー。MLBリーグでアメリカンリーグ東地区を何度となく制しているトップクラスの実力を誇る女子ボクサーだ。
シャドーで思い浮かべる顔はアイリーン・ロドニー。今年のリーグ戦後に行われるプレーオフ準決勝で苦杯を喫せられた相手。7R1分7秒KO負け。自分がヒットさせた倍以上のパンチを浴び、完敗といっていい負け方だった。でも、次は負けるわけにはいかない。アイリーンはキースジム所属のボクサーなのだから。キースジムはスーザンの所属するフェンウェイ・ジムの有望株だったボクサーを奪った。チャンピオンを期待されるほど強く、それでいて優しくあこがれの存在だったレイル・ルーカス先輩を・・・。

目の前の想像は突如現実のものとなり、スーザンは顔を硬直させる。
それは気のせいではない。
アイリーンは目の前に立っている。黒のスーツを身にまとい、右手をポケットに入れ悠々と。そして、もう一つの腕でスーザンの右のパンチは止められていた。


「良いパンチだ」

「あなたの顔はそうは言ってないようにみえるけど」

「私以外のボクサーなら避けられなかっただろうな」

「ふざけないで。あなたに当たらなきゃ意味ないのよ」

「そうでもない」

アイリーンの言葉の意味が分からず、スーザンは沈黙を続けた。

「その力を貸してもらいたい」

「あなたの力に? 冗談言わないで。私の想いはあなたをリングの上で倒すことだけよ」

MLBのボクサーとNPBのボクサーで団体戦の試合をすることになった。スーザン、あなたに五人のうちの一人として出場して欲しい」

「いきさつは動画サイトで見せてもらったわ。とんだ茶番だわね」

「とんだ茶番? プロボクシングは競技である以上に興行であることが重要だ。そこをいきつけば茶番にもなる」

「あなたが何と言おうと私はごめんだわ。私には日系人の友人が多くいるから彼らのことを悪く言いたくはないけれど、日本人ボクサーと試合をしてもそれは競技にならない。それこそ茶番でしかないわ」

「日本人の実力は私たちより遥かに劣るというのか」

「悲しいけれどそれが現実よ。私たちと日本人じゃ骨格からして違うのだから」

「それは二十年前の価値観だな。年々日本人のボクシングのレベルは上がっている。それこそ私たちを凌駕しかねないほどに」

「私たちを超える? 悪い冗談は止めてよ」

「だからこそ確かめるために試合を組んだのだ。彼女たちの力を知るために」

アイリーンの言葉にスーザンの中にある好奇心が駆り立てられ始めていた。
でも、素直にアイリーンに力を貸すのも気が引ける。スーザンは左右の腕を交わし両肘を掴みしばらくの間考え込む。妙案が浮かび上がり頬を軽く緩ませた。

「分かったわ。でも、条件が一つあるわ」

「何だ? 言ってみろ」

「もし私があなたより早い時間で日本人ボクサーに勝ったなら来年のオープニングシリーズのあなたの対戦相手に私を指名してくれる?」

MLBリーグでは1月にワンマッチの試合だけが組まれた興行が一日単独で行われる。3月から始まるリーグ戦前の選手の顔見せのようなものだ。


アイリーンがふふっと笑った。

「いいだろう」

アイリーンはそう言って、詳しい話は興行の関係者から電話がいくと言いその場を去っていった。

私たちを凌駕する? アイリーンが冗談を言うとは思えない。でも、その言葉はとても信じられるものではなかった。

「まずはデータ収集からね」

警察官だったころの血が騒いでいるとスーザンは感じた。