「悪いなぁ、見送りに来てくれて」
大阪方面行きの新幹線のホームに立つ織姫とオリーブと星。大きなバッグを抱える織姫が愛嬌たっぷりに顔を緩ませてて言った。
「いえ、織姫さんの声援があったから私、頑張れたんで」
そう答える星の右目には白いガーゼの絆創膏が張られていて、その顔面は瞼も頬も痛々しく腫れ上がっている。
「うちはたいしたことしてへん。アイリーンとあそこまで戦えたんは星の実力や」
と織姫は言い、
「うちももっと頑張らんとあかん」
そう言い残して、さよならの挨拶に手を挙げてオリーブと共に電車の中へ入った。オリーブと指定席に移動する。荷物を上に置いて、ゆっくりと席に座ると、横に座るオリーブに向かって、
「ええ試合やったなぁ」
織姫は感慨深げにそう言った。
第4Rにアイリーンをダウン寸前まで追い詰めた星。アイリーンのダメージがどこまでのものか分からない。星の方はもう満身創痍。そんな状況で迎えた第5ℝ。
星とアイリーンは前のℝ終盤同様に足を止めて相手のパンチをかわしながらパンチを打ち合う攻防一体のパンチの応酬をした。
星のパンチはヒットするもののアイリーンのパンチも同様にヒットする。
凄まじい音を立てるアイリーンのパンチ。彼女の強打を何発も浴びながら星は倒れることなくパンチを打ち返し続けた。
お互い一歩も退かない打撃戦。いつ星の方が倒れてもおかしくない試合はついに第8ℝを迎えた。星の顔面は両瞼も両頬もぱんぱんに腫れ上がり原型を留めないほどに醜く変形している。一方のアイリーンも顔は腫れ上がるものの痛々しいほどではない。両者のパンチ力の差が二人の姿にまざまざと表れている。
互角の打ち合いにみえても明らかに不利なのは星。しかし、第4ℝ終盤にみせたように何かしてくれるんじゃないかという期待感も抱かせる。そんな彼女の闘う姿に第8Rが始まると場内はスタンディングオーベーションが起こった。
終わりなく繰り広げられる激しい二人の打ち合い。アイリーンの強打が何度となく星の顔面を捉える。
お父さん……私少しはお父さんに近づけたかな……
あともう少しでお父さんが味わった思いを私も味わえる。
だから、もっともっとパンチを出さなきゃ……。
朦朧とする意識の中でそう思う星だったが、アイリーンのパンチが連打で決まり、星のパンチが出なくなっていく。
アイリーンが一方的にパンチを打つようになり、星は防戦一方になる。やがて、コーナーポストを背負うようになり、アイリーンのサンドバッグのようにパンチを打たれるようになる。
がんばらなきゃ……私、世界で一番強い人になりたいんだから……。
アイリーンの猛打にさらされる中、その純粋で無垢な思いが星にパンチを出させた。パンチを出さなきゃ勝てない。勝利を一途に欲する思いでがむしゃらに放った左フック。
しかし、星の精一杯の反撃のパンチは空を切り、アイリーンの右の拳が非情にも星のお腹に突き刺さる。深々とめり込み、星が背負うコーナーポストまでもが揺れたその強烈な一撃に星の口から泣き叫ぶような呻き声が上がり、前へと力尽きるように崩れ落ちた。
うつぶせに倒れ、レフェリーからダウンが宣告されると、星の口からマウスピースが吐き出された。
尺取り虫のように尻が付きあがり、パンチのダメージで顔をくしゃくしゃに歪め口からは唾液があふれ出てキャンバスを汚す星。幾度となく奇跡を起こした彼女にもう闘う力は残っているはずもなかった。
カウント10が数え上げられ、試合終了のゴングが鳴り響く。レフェリーがアイリーンの右腕を高々と上げた。
「勝者、アイリーン・ロドニー」
レフェリーが勝者の名前を告げ、死闘の終幕を迎えたリング。試合に勝ったのはアイリーンだが、激闘を繰り広げた二人を称え、観客は拍手喝采と声援を送り続けるのだった。
「星とも闘いたいけど、うちが今一番闘いたいのはあんたなんやけどね」
そう言って視線をオリーブに向ける織姫。
「わたしも同じ思いですよ織姫さん」
爽やかな顔でオリーブはそう答える。しかし、その直後、その表情は曇りをみせる。
「でも、わたしたちが上がるリングは違うから……」
オリーブの言葉を聞いて顔をしかめる織姫。その表情がすぐにぱっと晴れる。
「せや、うちがコミッショナーに頼んでみる。四国もNPBリーグに入れてもらえるよう」
「一度も優勝したことがない織姫さんが言っても……」
どこまで本気で言っているの分からない織姫の言葉に笑みをこぼすオリーブ。
「はっきり言うなぁ。だったらうちが日本一になって独立リーグとの真の日本一決定戦を行うよう提唱してみるのはどう?」
「そっちの方が可能性が低いような」
いたずらな笑みを浮かべてそう答えるオリーブ。ポジティブにいろいろと提案してくれる織姫を見て、彼女は思いを固めようとしていた。
わたしもNPBリーグに参加しよう。あのリーグには素晴らしいボクサーがたくさんいるんだから。
そう決心したオリーブは窓の外をみつめ表情をほころばせた。
「なんやまた笑って?」
「いえ、なんでも」
そう答えるオリーブはライバルとの再戦を心待ちにしていた。
川が流れ木々が生い茂る大きな公園でシャドーボクシングを行うスーザン。風を切るようにパンチを出し続けていた彼女の手が止まる。
「何の用かしら」
すぐ横に立つ褐色の肌をした銀色の髪の女性、アイリーンに対して彼女はそう言った。
「MLBオープニングシリーズの対戦カードが決まったんでね」
そう言って、アイリーンはスーザンに茶色の封筒を渡した。
「手渡しで持ってきてくれるなんてえらく殊勝ね」
「私の頼みに応えてくれた礼だからな」
そう答えるアイリーンだが、淡々とした表情で両手をズボンのポケットに突っ込んでいる。
スーザンは受け取った封筒を開けようとしなかった。彼女が願っていたカードが実現されることはないのだ。アイリーンより早いRに試合に勝てたらMLBオープニングシリーズでアイリーンと試合を組んでもらう。その約束を適えることは出来なかった。KO決着の時間がたった2秒の差といえども。それよりもスーザンは他のことに関心を寄せていた。
「まさかあなたがあそこまで追い詰められるなんてね」
MLB対NPB団体対抗戦の大将戦。その試合で見られたのは自分でさえ出来なかったアイリーンがダウン寸前まで追い詰められた姿。
「だから言ったろう、日本人の秘められた力に興味があると」
「絆ってやつかしら」
「さぁな」
そう言って、アイリーンはもう話すことはないだろうとばかりに踵を返した。
「待って」
スーザンがアイリーンを止める。話したかったことはもう一つあった。
「あなたのファイトマネーを全額レモンに渡したっていう噂、あれは本当なの?」
「ああ」
アイリーンは短くそう答えた。
「なぜ?」
「うちらも3週間前まで仲間だったんだ。心の底からお金を必要としている仲間に私のファイトマネーを譲った。ただそれだけのことだ」
故郷の森ファイアルカを土地開発から守るために大金を稼ごうとボクシングのリングに立つレモン。彼女の目的を達成するためには今回受け取ったファイトマネーにアイリーンのファイトマネーが合わさってもまだまだ足りないだろう。
「一つお願いがあるの」
「何だ?」
「私のファイトマネーもレモンの口座に振り込んでおいてくれないかしら」
アイリーンの口元が笑う。
「了解したよ」
そう言って彼女は再び背中を向け離れていく。
スーザンは封筒を切って中身を見た。その内容を見て、彼女の目が大きくなる。
アイリーン・ロドニー対スーザン・スペンサー。
対戦カードのメインイベントにそう書かれてあったのだ。
「なぜ……?」
離れていくアイリーンの背中に向かって問いかけるスーザン。
「仲間思いの仲間の思いに応えただけさ」
背中を見せながらそう答えるアイリーン。スーザンもまたレモンにファイトマネーを全額譲る行動に出ることを彼女は予測していたのか。
「1月のあなたとの試合、今度こそ勝たせてもらうわ」
アイリーンは何も答えずに離れていく。NPBとの対抗戦を終え、さらに強くなったであろうライバルの背中を見終えると、スーザンは上空を見上げた。異国の戦士たちと繰り広げた死闘にもう一度思いをはせるように。
おわり
※試合イラスト:まみむめむーさん
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