日本代表選抜トーナメントのAブロック決勝戦のリングに立つ渡邉橙兎と浜野星。この二人の試合を観る観客の大半は兎橙の勝利を予測していた。 この三年、セントラルリーグの優勝者はすべて鯉住洋子だがその前は橙兎がセントラルリーグの盟主と言ってよかった。NPBリーグにデビューしたその年にセントラルリーグを優勝し最年少でのセントラルリーグ優勝者としてリーグに記録の名を残した。その後も勢いは止まらずに三年連続でリーグ制覇。

 

そう橙兎はボクシングの才能に溢れていた。 しかし、その才能が災いし彼女は天狗になる。 口煩い年輩の辰原トレーナーを首にして現役を引退したばかりの若いボクサーを次のトレーナーに指名したのだ。

 

温厚な新トレーナーの元、新たな出発を切った橙兎だったが、彼女はリングでの輝きを失ってしまった。 その年をリーグ2位、翌年3位。戦績は下降の一途をたどり、次の年で開幕から2連敗するところまで彼女は落ちぶれた。地に落ちた彼女はトレーナーをクビにして、辰原をトレーナーに呼び戻した。以降、彼女は以前の荒々しくも緻密なボクシングを取り戻し、勝ち続けた。開幕二連敗がたたって優勝こそ逃したものの辰原トレーナーとの新体制移行は無敗のままその年のリーグを終えた。

 

圧倒的なKO勝利で勝ち続けセントラルリーグ優勝者の鯉住洋子よりも現状は強いのではないかとの声も少なくない。 彼女はAブロックの大本命であり、その前評判通りに一回戦をKO勝利で勝ち上がった。

 

一方の星はNPBリーグデビュー以降冴えない戦績が続いていた。デビューした年から数年間は6人のボクサーがエントリーするセントラルリーグの中で5位か6位。期待の星になれずそれどころか白星配給の星と揶揄される始末だった。ここ数年になってようやくAクラスに入れるかどうかのところまで闘えるようになり、去年はリーグ戦3位からのプレーオフ決戦で勝ち上がり日本シリーズに初めて日本シリーズに進出することも出来た。彼女も少しずつ成長はしているものの、決勝戦の相手が悪すぎた。 復活した天才、渡邉橙兎は星ではどうあがいても勝てる相手ではない。 NPBリーグのリングに上がって以降、星は橙兎に一度も勝てていないし、今年も彼女には3RKO負けと完敗してしまった。 過去の対戦成績、NPBリーグでの戦績、ボクサーとしてのポテンシャル、どれを取っても橙兎が上であり、橙兎が圧倒的有利であることは揺るぎないのであった。

 

そして、試合は下馬評通りに進んでいった。 アウトボクシングが苦手な星に対し、インファイト、アウトボクシングどちらも出来る橙兎は、徹底して距離を取ってジャブで突き放す。相手の苦手とする距離を保ち、確実に相手の体力を奪っていく。そして接近を許しても兎橙は星の得意とするインファイトでの打ち合いでさえも相手を圧倒していった。

 

ミドルレンジはおろか得意のインファイトでの闘いさえもいいようにパンチを打たれる星は毎回のラウンドでダウンをし続けた。1Rに一度、2Rに二度、3Rに一度。そして、4R開始のゴングが鳴る頃にはもはや星の顔面は原型を留めていないほどに醜く変形してしまっていた。

 

瞼がぷっくらと膨らみ右目は視界を閉ざされ、左目も半分ほど視界を失っていた。 ただでさえディフェンスが得意でない星は距離感を失いもはやガードを固め力が思うように入らない両足で棒立ちのように立ち尽くすしかなかった。

 

ミドルレンジで橙兎の左ジャブを浴び続ける星。 パンチングボールのように橙兎の左ジャブで顔面が右に左に吹き飛ばされていくその様はもはや悲壮感の塊でしかなかった。

 

しかし、それでも星は前に出ていく。 鈍行のような歩行であっても愚直なまでに前に出続ける。 そして、ボディブローを打ち込む。

 

星のパンチを軽やかに避け続けていた橙兎であったがただ一つヒットを許していたパンチがあった。

 

それがボディブローである。

 

ヒットといっても一つのラウンドで三発当たるかどうか。星はその数十倍のパンチを浴び続けているのである。しかし、星はこのボディブローに全てを託していた。

 

必ず道が切り開かれると信じて。

 

そして、その愚直な思いが奇跡を呼び起こす。 第5Rついに星の左ボディーブローで橙兎の動きが止まったのだ。 身体がくの字に折れ曲がる橙兎の身体に星のラッシュが火を噴いた。下から上、左、右、左。流れるようなパンチのラッシュが橙兎の身体に次々とヒットしていく。

 

たまらずにクリンチをする橙兎。 試合の行方はもはや分からない。

 

最終R、星と橙兎は足を止めて打ち合った。ハードパンチの橙兎に手数で対抗する星。 気力を振り絞り打ち合う二人。 もはやガードは意味をなさなかった。 全身全霊を込めてパンチを打ち続ける。

 

そして、試合終了まで残り30秒。 星のパンチが一方的に当たるようになっていく。 星が滅多打ちのように橙兎にパンチを当てていく。 そして、とうとう兎橙が後ろへと崩れ落ちダウンした。 カウントが途中で止まり、レフェリーが両腕を交差する。 Aブロックの勝者は誰も予想していなかった浜野星となったのだ。 去年のプレーオフ決戦を彷彿とさせるミラクルマシンガンの再来。 MPBリーグとの団体対抗戦でもミラクルを起こすのではないかと期待させる勝ち名乗りである。

 


 

浜野星〇(6R1分48秒KO)●渡邉橙兎