第三試合のゴングがまもなく鳴ろうとしているのに場内の声援は第一試合、第二試合と比べ物にならないくらい減り寂しいものがあった。ホームであるのに川奈オリーブへの声援はあまり上がらずにわずかなオリーブへの声援も観客席の一部を形成する四国からやってきた地元の応援団からのもの。
オリーブがNPBのボクサーでなく独立リーグのボクサーであるために感情移入できないのか、独立リーグのボクサーだから期待が持てないのか。
どちらにしろ、オリーブは寂し気な顔をしてリングの外を見ていた。
NPBチームのピンチなんだから声援くらいしてくれたっていいのに……。
トレーナーの長戸由奈がオリーブの肩に手を下す。
「気にすることはないわ。試合が終われば大歓声があなたに送られることになるわ。むしろその方が爽快ってものじゃない」
そう言って彼女はふふっと笑う。つられてオリーブも「そうですね。一番美味しいところでの出番ってやつかも」と言って頬を緩ませる。
オリーブは胸元でばすっと両拳を鳴らし仕切り直しとばかりに闘志を高まらせる。
その時だった。 青コーナー付近のエプロンサイドの席からルーシーの名前を呼ぶ声援の声が上がる。その声の大きさはオリーブ以上のものだった。それもそのはず、小さいなアメリカ人らしき子供たちが声を枯らさんばかりの大声を張り上げているのだ。
「あれは……」
思いがけないリングサイドの光景にオリーブは思わず声を漏らした。オリーブは思い出す。ルーシー・サンデーが牧師の父を持つことを。そして、父の教会は孤児園を運営していることを。ルーシーはファイトマネーの多くをその運営費に充てているのである。
ホームであるのに自分がヒールであるかのような居たたまれない気持ちになる。オリーブはその気持ちを払拭せんとばかりにもう一度胸元で両拳を合わせた。
————悪いけど勝つのはあたしだから。
試合開始のゴングが鳴る。ゴングと同時に勢いよくコーナーを飛び出していくオリーブとルーシー。両者ともに相手を翻弄するテクニックなどみじんも考えていなかった。最短の距離から接近し二つの拳を対戦相手にぶつけにいく。
試合開始早々に派手な音がリングの上から鳴らされていく。オリーブもルーシーも足を止めてパンチを打ち続ける。
共に近距離での打撃戦が得意なインファイター。お互いが自分の得意な土俵で自慢のハードパンチをぶつけにいく。耳を塞ぎたくなるほどの鈍く重たい強烈な打撃音が続く。
しかし、二人は一歩も退かない。自分の得意の距離で退いては女がすたるといわんばかりに男顔負けの激しい打ち合いを演じる。
打ち合いは全く止まることなく続いた。2R、3Rとラウンドが経過してもなおパンチの打ち合いが繰り広げられていく。
第4Rのインターバルを迎えた頃には両者とも十二ラウンドを戦い抜いたボクサーであるかのように頬も瞼もぷっくらと痛々しく腫れ上がっていた。
第4Rのインターバルの最中、由奈はこの調子よ。この調子でいけば勝てるわと何度もオリーブを鼓舞した。オリーブの首は下がり、ハァハァと息を漏らすばかり。これまであった返事をする余裕はもはやなくなっている。それどころかオリーブの意識が朦朧としていることを感じ取り、細かい指示を出すよりも気力を奮い立たせるべきと判断した由奈は自身の判断は間違っていないとオリーブの弱りぶりから痛感する。オリーブもルーシーもこれまで相手のパンチを受けて効いたそぶりは一度も見せていない。でも、判定までいくことはまずない。長くてあと2Rといったところか。それ以上のRまでオリーブの身体が持つとは思えなかった。次のRが勝負となる。
そう感じつつ、「相手はへばってるわ。いけるなら倒してきなさい」と言い、オリーブを赤コーナーから送り出す。
しかし、赤コーナーを出るオリーブと青コーナーから向かってくるルーシーの二人を目で同時にとらえた瞬間、由奈はのどが詰まる感覚を覚えた。
オリーブもルーシーも共に顔が原形を留めていないほどに腫れ上がりボロボロな姿だ。なのにオリーブの背中だけがとても弱々しく映り悲壮感を感じさせる。
おかしい……二人ともダメージはいっぱいのはずなのに……。
このRも一直線に向かい、ストレートを放つオリーブとルーシー。二人の放ったパンチはお互いの顔面にヒットする。
グワシャァッ!!
二人の足が止まり、R開始早々に壮絶な光景がリングの上に出来上がった。 由奈の感じた嫌な予感は現実のものとなる。ルーシーが頬を歪ませながらも両目で相手の顔を凝視し続けるのに対し、オリーブの顔はめり込まれた青のグローブに左目を潰され大きく見開かれた右目は視点が定まらずに明後日の方向へと向けられていた。お互いの頬が支えとなりパンチを放った腕が交差し、二人はクロスカウンターの状態のままでいる。しかし、オリーブの身体は小刻みに震えルーシーは息を荒げならその様子を見つめ続け右拳をぐっと力強く握りしめる。
ルーシーがオリーブの右腕を左腕で払いのけた。ルーシーの右のパンチがオリーブに放たれる。そう思われた次の瞬間、オリーブはキャンバスに前のめりに崩れ落ちた。キャンバスに沈まり仰向けに倒れ伏す。オリーブは相打ちとなったクロスカウンターのルーシーのパンチですでにノックダウンの状態となっていたのだ。どよめく場内。青コーナーのリングサイドからは子供たちがルーシーへ声援を送り、ニュートラルコーナーに立つ彼女はその声援に応えたかのように両腕を高らかに上げガッツポーズをみせる。
オリーブはカウント8で立ち上がる。力のないファイティングポーズ。レフェリーは試合を再開する。
その場に立ち尽くすオリーブにルーシーが突進していく。ルーシーの右ストレートがオリーブの顔面をとらえる。オリーブも左フックを返す。ここがチャンスとばかりに猛ラッシュをかけるルーシーだがオリーブも負けじとパンチを打ち返す。
ダウンをしたもののオリーブのパンチには力がある。まだ分からない。
しかし、打ち負けたのはまたしてもオリーブだった。ルーシーの右ストレートがオリーブの顔面を打ち抜き、オリーブは吹き飛ばされるように、両腕をバンザイのように上げて後ろへ倒れていく。もう勝てない、降伏したとその姿が示しているかのように。
二度目のダウン。しかし、オリーブはカウント9でかろうじて立ち上がる。
再生ボタンが押されたかのように立ち尽くすオリーブへと向かい再び猛ラッシュをかけるルーシー。しかし、オリーブはもはや打ち返せるような状態ではなかった。亀のようにガードを固め、そして、なんとかルーシーの腰に両腕を伸ばしクリンチしラッシュをしのぐ。
乱れきった呼吸を漏らし必死にその両腕を放とうとしない。そんなオリーブにルーシーは涼しげな表情で言う。
「あなたは十分に闘ったよ」
そう言い、
「でもね、あなたとわたしじゃ背負ってるものが違うんだから。だから、わたしがあなたに負けることは100%ないの」
レフェリーが二人を放し、その瞬間、第5R終了のゴングが鳴った。
背負ってるもの……。
青コーナーを振り向く気力すら残っていない。でも、ルーシーが言わんとしていることをオリーブは感じ取る。
今も青コーナーサイドから聞こえてくるルーシーに声援を送る子供たちの声。
背負ってるもの……。
あたしはあたしのために闘っている……。それじゃ彼女には勝てないっていうの…
かろうじて赤コーナーに戻ってきたオリーブ由奈は試合の棄権を申し出た。オリーブはイヤと首を横に振る。 オリーブの意思を尊重して試合は続行となった。
しかし、第6Rもルーシーの猛攻で幕を開ける。 ルーシーのラッシュに対して全く手が出ないオリーブ。瞬く間にロープにつまり、がちがちに固めていたガードも崩されついにはルーシーのパンチが雨のようにオリーブの顔面に打ち込まれていく。 サンドバッグのようにパンチを打たれルーシーに滅多打ちされるオリーブ。
「川奈、サンドバッグのように滅多打ちされる~!!」
「これは棄権です。独立リーグのボクサーとしては十分すぎるくらいに川奈は闘いましたよ。赤コーナーはタオルを投げるべきですよ」
緊迫した声を上げるアナウンサーと解説者。
その声を背で聞きながらオリーブは闘志が崩れ落ちようとしていた。
ダメだ……。やっぱりあたしなんかが勝てる相手じゃないんだ……。
「何してるんやっ!!」
関西弁の女性の声……。
振り向かなくても分かる。リングの中で6R打ち合った人の声だから……。
でも、なんで彼女の声が後ろに……
「あんたのパンチはそんなもんやない。それはうちが一番知ってる!!」
そっか……織姫さん……織姫さんは……。
「まだまだいける。オリーブはまだまだいける!!」
あたしのライバルだから。
ライバルのたすきをあたしは受け取ったんだ。この試合負けるわけにはいかないんだ。
レフェリーがロープダウンを取る。 レフェリーの問いかけに織姫はファイティングポーズを取り、まだやれると応じる。 試合が再開された。
グワシャァッ!!
ルーシーの右ストレートがオリーブの顔面にめり込み、身体ごと後ろへ吹き飛ばされていく。 鼻血を撒き散らしよれよれと後退しながらもなんとか踏みとどまる。
すかさず距離を詰めに出たルーシーにオリーブが反撃に出る。下がった右腕のグローブをぐっと握り左の足を踏み込む。ミドルレンジの距離。その距離で放たれるパンチは右ストレート。そう読んで顔面にガードを上げるルーシー。 しかし、オリーブの右腕は上がることなく下がった位置のまま始動を始める。そのパンチは下から斜めに鋭角な軌道で上がっていく。 オリーブの右のパンチが下からルーシーの顔面を打ち抜いた。
グワシャァッ!!
オリーブが右拳を突き上げ、ルーシーの身体が宙に舞う。 そして、背中から大きな音を立ててキャンバスに倒れ落ちた。 オリーブ、起死回生のダウン奪取。その一撃にエプロンに詰め寄っていた織姫は「あぁぁっ」と大きな声を出す。
そのパンチはスマッシュ。織姫の必殺パンチをオリーブが放ったのである。練習なんて一度もしたことない。 友のパンチをこの身体で受けて、あの時と同じような状況に陥った時に自然と体が反応したのだった。まるで織姫の声援がオリーブを突き動かしたかのように。
「ナイン、テン!!」
レフェリーが右腕をオリーブに向ける。
「勝者~川奈オリーブ!!」
勝ち名乗りを受けたオリーブは満身創痍のその身体をニュートラルコーナーに預けたまま、リングの外に向かい、右腕を上げた。 すぐそばで活を入れてくれたライバルに笑顔を向けて。
川奈オリーブ○(第6R1分2秒KO)●ルーシー・サンデー
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