日本で女子プロボクシングを管理する団体は二つある。一つは全日本女子ボクシング連盟。もう一つが日本ボクシング連盟である。かつては日本ボクシング連盟は女子プロボクシングを認めてなく全日本女子ボクシング連盟が興行を行っていた。しかし、日本で女子ボクシングの興行が行われるようになり七年後に日本ボクシング連盟も女子のプロボクシングを認めるようになった。全日本女子ボクシング連盟の興行に参加していた多くの女子選手が日本ボクシング連盟に移り、全日本女子ボクシング連盟の興行が衰退していくようになる。しかし、日本ボクシング連盟の興行にも一つの問題があった。女子だけの興行が行われないことであった。女子選手だけで興行が行われる全日本女子ボクシング連盟に所属するか歴史と権威があり安定した日本ボクシング連盟に所属するかせ女子選手たちは選択が迫られることになる。
二つの女子ボクシングの興行が行われるようになり、二年。全日本女子ボクシング連盟の所属選手であり、興行のスター選手であった豊崎みかりはデビューからの連勝記録を11にまで伸ばし、WBCのフライ級ランキング一位に上り詰めた。ついに指名試合で世界チャンピオンと闘える権利を得たのである。団体創設時から苦戦が続いてた全日本女子ボクシング連盟の興行は日本ボクシング連盟が女子ボクシングのプロ化を認めたことでさらに観客が離れていき行き詰まりをみせていた。みかりの世界タイトルマッチの興行を行えばいつもより大きな会場で開催出来るしベルトを奪取出来れば話題を集め今後も観客を集める大きな強みとなる。全日本女子ボクシング連盟にとってみかりの世界タイトル奪取は団体を存続させるための最後の希望だった。だが、WBCは豊崎みかりの世界タイトルに異を唱えた。日本に女子プロボクシングを運営する協会が二つあるためである。WBCは協会が一つにならないと日本人選手の世界タイトル挑戦を認めない決定を下す。全日本女子ボクシング連盟と日本ボクシング連盟は話し合いの末に世界ランキング1位の豊崎みかりと世界ランキング7位の松田愛莉で試合を行い、勝った方を女子プロボクシングを管理する正式な団体とする旨の取り決めをした。
こうして、日本の女子プロボクシングの未来が託された運命の一戦が開かれることになった。
松田愛梨はかつて全日本女子ボクシング連盟の運営する興行に参加していた選手の一人。5勝1敗の戦績を残してたが、その一敗は日本タイトルマッチにおいて豊崎みかりに下されたものである。そうした経緯から豊崎みかりが有利と思われた試合は序盤から波乱に満ちた展開となった。第一Rから松田愛梨のアウトボクシングが豊崎みかりを圧倒したのである。日本ボクシング連盟の傘下であるボクシングジムに移籍した松田愛梨のボクシング技術は以前とは見違えるほどに上がっていた。松田愛梨が確実にダメージとポイントを取っていく中、第5Rに試合は大きく動いた。豊崎みかりが右のストレートで松田愛梨からダウンを奪ったのだ。

 

 

 

 

松田愛梨がカウント8で立ち上がる。
接近してインファイトに持ち込もうとする豊崎みかりと距離を取ってアウトボクシングに徹する松田愛梨。
手数では松田愛梨が上回るものの豊崎みかりのハードパンチも当たるようになっていく。
一進一退の攻防が続くクロスゲーム。
第7Rに入り、硬直した局面が新たな展開をみせる。これまで距離を取り続けた松田愛梨が打ち合いに出た。
アウトボクシングもインファイトもこなせる彼女がここにきて勝負に出た。
足を止めての打ち合い。凄まじい音を響かせる強打が何度も相手の身体にヒットする。それでも二人は倒れない。
協会を潰したくない思い、そして昔同じ協会でライバル同士であった相手への対抗心がお互いに倒れることを拒否しパンチを出し続けさせる。
二人の激しい打ち合いを息を飲んで見つめる観客。その中で叫ぶように自軍の選手の名前を何度も呼び鼓舞するセコンドたち。
張り詰める空気が流れていた場内に大歓声が起きた。
天に向けて伸び上がった左拳。
銀色の液体に包まれ艶めかしい輝きを放ちながら天井へと舞い上がっていくマウスピース。
相手がキャンバスに倒れ落ちていくのを見届けて、天井へかざされていた赤いグローブがゆっくりと腰の位置まで降りていく。
凄まじい打ち合いを制したのは松田愛梨。
松田愛梨の渾身のアッパーカットが豊崎みかりの顎を打ち砕き、パンチの打ち合いでライバルを凌駕した。

 

 

 

 

 

「負けられない・・・負けられないの・・・世界タイトルの舞台まであと少しなんだから・・・絶対にこの権利を譲るわけにはいかないんだから」
みかりはそう言って赤コーナーを出ていった。前のRで辛うじてゴングに救われて赤コーナーに戻ってきたみかりにジムの会長は棄権を告げた。しかし、みかりはその申し出を頑なに拒否したのだった。
第8R。試合を続行したい強い意志を示したものの、みかりの足取りは弱々しい。対照的に青コーナーから出てきた愛梨は力強い足取りでみかりとの距離を縮めていく。
セコンドたちの声援を背に受けながらみかりも前へと出ていく。

会長・・・また我儘言っちゃってゴメン・・・。
本当は世界タイトルマッチなんていいの。
わたしを育ててくれた協会を潰したくなかったから…。生きていると実感させてくれる舞台を提供し続けてくれた協会・・会長が創ったボクシング協会を…。

わたしは協会を潰したくない。会長の創った協会を潰したくない。
絶対に負けるわけにはいかないの。

フットワークは使わずにベタ足で距離を詰めてきた愛梨とついに対峙するみかり。身体中の感覚が鈍くても意識だけは不思議と冴えていた。
みかりから先にパンチを放つ。
左ジャブ二発から右ストレート。
パンチには十分すぎる力が宿っていた。
これならまだいけると思うみかり。でも、体力はもうほとんど残っていない。一気に攻め立てる。
でも、当たらない。振り子のようにリズムカルに上体を動かす愛梨にパンチがまったく当たらない。
みかりの表情が青ざめていく。
なんで・・・さっきまであんなに当たってたのに・・・。
不敵に笑みを浮かべる愛梨。
「前のR、みかりを倒したのは偶然じゃないよ」
そう言って続ける。
「みかりのパンチのタイミングはもう完全に掴んだから。だからもうあたしには当たらない。一発もね」

「なっそんなはず・・・そんなはずない!!」

みかりが大声で叫びながら右のストレートを放つ。
みかりの青いグローブは何も捉えずに空を切った。ダッキングでパンチを避けつつもパンチの力を溜めた愛梨がその力を開放する。
愛梨の右のアッパーカットがみかりの顎を捉えた。
その一撃はみかりの残された僅かな力を奪うに十分だった。
顎を突き上げられ、後ろによろめいていく。
膝が折れながらもかろうじて踏みとどまった。
愛梨が間髪入れずに距離を詰める。
愛梨の強打が一気に爆発する。瞬く間にみかりがサンドバッグになっていく。
みかりを滅多打ちにしながら愛梨が言った。
「みかりは何も変わってない」
瞳が虚ろな状態で左右に顔が吹き飛ばされ続けるみかりにはもはやその声が聞えているのかも定かではなかった。
「でも、あたしは変わった。ジムを移ってからあたしのボクシングは飛躍的に上がった」

力強く言い放ち、そして力強く殴り続ける愛梨。

わたしは・・・わたしは・・・負けられないの・・・。

ぼろ雑巾のように殴られ続けながらみかりはただ一つの思いを自分に言い聞かした。倒れたくなくて・・・絶対に倒れるわけにはいかなくて・・・。

尊いまでに強い意志。しかし、みかりから反撃のパンチは出てこない。愛梨との圧倒的な実力差の前にいいように殴られ続けるだけの無力な存在でしかなかった。

「わたしは・・・負けるわけに・・・」

弱々しくそう言葉に漏らすみかり。しかしその声をかき消すように愛梨が同時に、

「時代遅れなテクニックに頼ったあなたじゃあたしには勝てない!!」

と力強い声で言い放ち、両腕が下がり無防備なみかりの顔面に右フックを叩き込んだ。

みかりがマウスピースを吐き出して、後ろに崩れ落ちていく。

背中から大の字に倒れ落ちた瞬間、赤コーナーからタオルが投げられた。

女子ボクシングフライ級10回戦

〇松田愛梨(8RKO)豊崎みかり●