格闘少女伝説 遥かなるリング

 

作者:中村慶吾

掲載誌:ヤングマガジン海賊版

 

当時、本屋ではまだ立ち読みが出来る店がけっこうあった時代で学生だった僕は立ち読みできる本屋でこの漫画の単行本をどきどきしながら読んでいました。その後大人になって単行本で購入し、とある事情で手放してしまいます。それからまたコラムを書くにあたって改めて読み返しましたが、格闘技というくくりに分けられる中でこの漫画はとても異質な作品です。

 

格闘技漫画は自分よりも強い相手と闘い勝つのが目的であることが主ですが、この漫画では主人公が勝つことに重きを置かれていません。漫画のテーマ云々でなく、この漫画に出てくるプロレスラーたちの考えがそうであって、主人公の高峰ユウが所属するプロレスの先輩レスラーはただ勝つだけで満足せず試合内容によっては怒ったり試合を途中で終わらせる描写さえあります。プロレスで言うところのしょっぱい試合をしやがってというやつです。プロレスラーとは相手に勝つこと以上に観客を満足させることを重視されます。プロレスそのものが格闘技の中で異質な存在であり、しかし、これまでのプロレス漫画は相手に勝つことを目的とした作品ばかりでした。それが格闘漫画のセオリーであるからです。しかし、プロレスのセオリーとは違うのですから、そこにプロレス漫画のジレンマがあります。プロレス漫画から名作と呼ばれる作品が出づらいのもこういうジレンマがあるゆえでないかと思います。

 

しかし、「遥かなるリング」はプロレスが持つ観客との闘いに真っ向から挑みました。プロテスト、デビュー戦と進んでいき、プロレスラーの階段を歩んでいくユウですが、新人レスラーゆえに試合に勝つことより負けることの方が多いです。それはジュニアのベルトを取って以降も変わらず、むしろ先輩レスラーと闘うことが多くなった後半の方が負ける試合の描写が多いようでさえあります。物語のカタルシスにおいて勝利こそ最も効果を与えやすいものだとしたら、その逆をいく展開の中で、勝つことだけがレスラーの成長ではないことが読み取れ、また苦労を続けているからこそ、ベルトを手にした時のカタルシスは一層ぐっとくるものがあります。ジュニアのベルトをかけた大一番の試合の描写はすべてカットしているのに関わらず、心にぐっとくるのだから作品の持つドラマ性の高さがなせる技ではないかと思います。

 

そして、物語は終盤を迎え、先輩レスラー五人とのシングル五番勝負。ジュニアのチャンピオンになって少しはレスラーとして成長したかと思っていたユウですが、団体の看板レスラーたちとのシングル勝負では見せ場を作ることも出来ず負けてしまいます。負けるのは仕方ないとしても観客の心に自分を残すことさえ出来ない。自分の面倒を見てくれる先輩レスラーのリリアとの試合でもユウは彼女のレスラーとして観客を惹きつける巧妙さの前にまたも自分の闘った姿を観客の心から消されてしまいます。そして、リングの上でリリアがユウに向けた言葉が、次のもの。

 

自分の見せ場は自分で作りなさいよ。もっと頭を使わなきゃ。相手のこと、自分のこと、お客さんのこといろんなことを目一杯考えなきゃ。そうやって自分を演出していかなければ見せ場なんてあるわけないでしょ。

 

対戦レスラーとの勝負論以上に観客との勝負論に重きを置いて描かれた漫画。まさにプロレスオブプロレスズである「遥かなるリング」。これぞプロレス漫画の王道と言わざるして何を指せばいいというのか。しかしながら、ヤングマガジン海賊版というマイナー誌で連載されていたために世間的な知名度は低くまた単行本の数も4巻と短いです。団体のエースである女子レスラーとリング上で交わることがいっさいなくユウはトップレスラーになることなく物語は幕を閉じているため、打ち切りなのではないかという憶測が出てもおかしくないかと思います。僕もそこが気になっていたのですが、改めて雑誌を読むと、掲載位置は最初から最後まで真ん中から少し上あたりと良くなにより特筆すべきはカラーの数。なんとセンターカラー含めて12回以上カラーがあります。30話ちょっとの話数の中でこの数は異常であり、一時期のジャンプのワンピース状態。そこまでの人気があったのかはこれだけじゃ分かりませんが、最終話も雑誌の表紙を飾り巻頭カラーというこの上ないフィナーレだったことからもアンケートの結果はものすごく良かったのではないかと思います。結果だけみるとヤングマガジン海賊版の漫画の中でも殿堂入りしてもいいくらいの扱いです。仮に打ち切りだったのならこの後数号で休刊になった雑誌の事情からと見た方が妥当といえるかもしれません。当時から雑誌において輝きを放ち購読者の多くを魅了した伝説のプロレス漫画。連載終了から25年以上が経ちましたが、今読んでもその魅力は色あせずむしろ、プロレスの熱気が90年代よりも落ちている今だからこそ読んで欲しい作品です。